お時間です

生き延びがち

『アリー/スター誕生』 生きてこ!話

あけましてるね。

なんか青山テルマのヒットソングみたいな書き出しになったんですけど、実際もう明けに明けきってるから「あけましてるね」が適切だと私は判断しました。

めでたいかめでたくないかは、あなたが決めてください。

 

〜完〜

 

 

で、終わりにしたいぐらい特別何があるわけでもない日々を送らせていただいてるんですが、月一は更新しないと"「続けられなさ」が続けられてしまう"というパラドックスに陥って自我を失い自分をゲイリー・オールドマンだと思い始めそうなので何か書きます。

あれ?裏切りのサーカスに出てましたか?

って言われたいよね。

 

じゃあ何書く〜?

レインボーアートがあれば垂れずに跳ねずに手につかずにカラフルな文章を書けるんですけど。

誠に残念ながらスマホしか手元にないのでモノトーンな話をさせていただきます。

ところで、カラフルだと思ったらモノトーンでびっくりしたものといえば?

そう、『アリー/スター誕生』ですね。

クラークケントでもここまで捻じ曲げられないだろう、ってぐらい話をグニャ〜ッと曲げて強引に導入とさせていただきました。

でもマジで旧『スタァ誕生』を知らずにあのcmだけで観に行った人、あのラストにグニャ〜ってならなかったですか?

私は心身が渦を巻きました。

今でも若干くせ毛が強いです。

ということで、昨年からずっとする書く述べると言っていた『アリー/スター誕生』のレビューをします。

なんてったって、(私の)予想外に賞レースに乗っちゃうなんてめでたいニュースもあるしね。

まあこの"賞レース"ってのが『アリー/スター誕生』での大きな分岐であり、ままならなさの象徴だったりするんですけど。

 

私が比喩によく用いる便利アイテム「飛行機」を採用しながらジャックの選択とアリーの人生を見ていこうかな、つってね。

よく用いるってどこで?と聞かれたら一応こんな感じで

ね。

例えとしては二番煎じなので渋みがあるんですけどユーザビリティが高いということで許してください。

 

 

 

唐突ですが。

イマジン。

想像してごらん。

自分が機長の飛行機、操縦席に座ってるところを。

イマジン。

想像してごらん。

なんかいっぱい手元とか頭上にボタンがあって

「自尊心」

とか

「家族」

とか

「健康」

とか書いてるのを。

それをポチポチ押して点灯させていくとようやく飛べる飛行機。

なのに、「健康」を押しても点かない。

点いたと思ってもすぐ消える。

「自尊心」を押そうと手を伸ばす。

すると、副操縦席に知らずに座っていた誰かが「それは君には無理だよ」と言って勝手に消してしまう。

これじゃあ飛べない。

飛べたとしても自分の望む高度じゃない。

消灯したままのボタンが不安で仕方ない。

 

イマジンした?

じゃあ続けます。

 

アリーは自分の飛行機/人生なのに、「才能」のボタンがビンビンに点灯してるのに、周りの誰か(それは父親の何気ない一言「アリーは歌手にはなれない」だったり、かつてのプロデューサー達の心無い言葉だったり)に消されていく「自尊心」や「夢」のせいで飛びたい方向へは飛んでいけない。

その消灯されてたボタンたちをバチバチバチッ!と点けてアリーと一緒に飛び始めてくれたのが突然現れたジャックなんですよね。

心から信頼し、尊敬し、愛することができる人が隣にいてくれるアリーの喜びは、そのままジャックにとっても自分の隣にアリーがいる幸せになっていく。

ただ、飛び始めたアリーがより高く、遠くまで行くためにはかつては望んでいなかったようなルートを選ぶ必要も出てくる。

飛び続けるためにそれを受け入れるアリーと、一方で思い描いていたルートを外れたことに歯痒さを隠せず、また同時に自身の操縦席のボタンの明かりが消えていくジャック。

ジャックの飛行機は順調に飛んでいるように見えて、実は「家族」のボタンは機能不全を起こして明滅し、そして彼の飛行機の最大の動力源に他ならなかった「歌」のボタンが病によって消えつつあったんですよね。

そこに加えて「アルコール依存」というエラー。

高度を下げていくジャックの飛行機。

理想とは違うものの、高く遠く飛んでいくアリーの飛行機。

ただ、アリーの隣にジャックが座ってくれたように、今ではジャックの隣にもアリーが座っている。

アリーを心から愛したからこそ、ジャックは高度を下げていく自分の飛行機にアリーを乗せたまま落ちていくのだけは耐えられなかった。

アリーの飛行機まで失速させたくはなかった。

それ故の、あの選択。

アリーを置いて、自分自身で操縦桿を下に向ける選択。

ただ、もしジャックの操縦席に、例えば「楽観」や「幼少期の幸福」、「適切なケア」等々の点灯したボタンがあれば、多少高度を下げたとしても飛んでいられたはずだとは思います。

ジャックの死は、物語の中では「スター誕生」のコインの裏のように描かれつつも、本質はとても普遍的。

種類は違えど「自分で自分の飛行機を飛ばせない。人生が重くて背負えない」人は当たり前にたくさんいるんですよね。

今、現実で飛んでる人の中にも「健康」が明滅してる人、「将来」がどうしても点かない人、たくさんいると思います。

それでもみんなどうにか毎日操縦席に座ってえっちらおっちら自分の飛行機を飛ばしてるんですね。

ジャックの死は、スターの悲劇ではなく(その側面はあるとしても)、理解しがたいエゴの結末でもなく、「生きていくことは意外と奇跡みたいなもんだ」という証左。

本物の飛行機だって、あんな金属の塊が飛んでることは奇跡なんで。

ボタンが消えそうになったら他の点いてるボタンに目を向けて。

自分で点けられないなら誰かに点けてもらって。

そうやって奇跡みたいに生きていくしかないんですよね。

 

っていう、アリーとジャック、ふたりの眩しいカップルへのラブでした。

ここまで書いてきたこと全てあくまでラブなんで。

みんな生きてこ。

マジで生きてるだけで偉いから。