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生き延びがち

同じように違うのだ〜クィアが観た『vitalsigns』〜

救難艇「水伯」は、海の底で助けを待つ調査艇「バラエナ」の乗組員を救助するため深海を進む。

海の仲間を救うために。

深海840mからもたらされた『助けて』を掬うために。

 


同じように違うのだ

 


しかし、水伯がバラエナから救い上げたのは"ヒト"ではないものたちだった。

 

 

パラドックス定数47項

『vitalsigns』

作・演出:野木萌葱


出演

◯救難艇「水伯」

葉山達平:西原誠吾

六浦剛介:神農直隆

◯調査艇「バラエナ」

汐入知也:植村宏司

鳥浜明彦:小野ゆたか

堀ノ内正:堀靖明

 

 

 

2021年12月17日(金)19時、公演初回。

低い位置にある舞台を少し見下ろすような席、中央あたりで観劇。

照明が落とされると、地下にある小さな劇場は深海を進む小さな潜水艇に変わる。

ものの一瞬で物語の世界に引き込まれる、見事な開幕。

その小さな舞台では、二人の、時には三人、そして五人の会話劇が繰り広げられる。

 


深海を征く救難艇「水伯」の艇長葉山と操縦士の六浦が海底に留まった調査艇「バラエナ」から救助した三人の乗組員の様子がおかしい。

いやに落ち着いている。

そして同時に、酷く怯えていた。

彼らが言うには、自分たちは「ヒトではない」。

海の底で突如自我を持ち、かつてヒトだった乗組員たちを乗っ取ったなんらかの"意識"。

直径3mの円形の船室の中でヒトと、ヒトではないものの、存在を賭した対話が始まった。

 


艇長である葉山は分かりやすくオールドな価値観を内包している。

部下である六浦への口調、感情のままに荒げられる声。

しかし同時に、当たり前のように六浦を大切に思い、感情のままに悩む。

この劇の中で、とくべつに等身大の、マジョリティの人間として造形されているように感じられた。

一方で操縦士の六浦は、葉山を信頼しながらも茶目っ気のある柔軟な人物。

彼は己が「ヒトではなくなった」事実を柔軟に受け入れ、そして柔軟に怯えを見せる。

常に狭間をゆく六浦の揺らぎにつられるように、頑なだった葉山はやがて「ヒトではないもの」たちを知り始める。

「ヒトではないもの」たちがヒトではないことを。

「ヒトではないもの」たちがヒトと変わらぬ心を持つことを。

そしてやはり、彼らが「ヒトではないもの」であることを。

 


葉山が「こいつらヒトじゃん」と絞り出すように叫んだ瞬間、私は身体中の血が引くような感覚を味わった。

おかしなヒト、違法な手段で入国しようとするヒト、ヒト、ヒト。

葉山は汐入たちを理解できないがゆえに、あくまで「ヒト」の異種だと扱い続けた。

この物語が明確にマジョリティとマイノリティの歪な構造を描く限り、葉山の「こいつらヒトじゃん」ということばは、マイノリティである汐入たちから、彼らのアイデンティティを奪い均してしまう恐ろしさをはらむ。

「ヒトではない」と主張するいきものに、己の勝手な物差しを当てがって「ヒト」とする。

理解の範疇にないから、無理やり相手の形を歪めて型に押し込める。

堀ノ内は序盤でキッパリと「在り方を決めつけられることに強い不快感を感じる」と断じた。

それでも、オールドな価値観をどうにか広げたあとでさえ、葉山は彼らに同質性を求めてしまった。

彼らに自分と同じ、正しくは"マジョリティと同じ"性質があることでようやく彼らを受け入れられたのだ。

 

私はクィアな物語を表する際に使われる「普遍」ということばがとても嫌いだ。

陳腐である以上に、クィアネスを杭打ち目を背ける残酷な逃げ口上だからだ。

 


「ゲイ映画だけど普通に観れる」

「百合(レズビアン)は至高」

 


マジョリティと同じような感覚、感情が伝わらなければ、「普遍」でなければ受け入れられない。

マジョリティが憧れるような、特殊で特別な関係性がなければ価値を見出せない。

 


葉山の「こいつらヒトじゃん」には、そういったもののエッセンスが詰まっていて、私の中にある「違い」が締め付けられるようだった。

しかし、葉山はこう続けた。

「でも違うよな。ヒトだけどヒトじゃないよな」

 

 

他者が自分とは違う/同じということを受け入れる、認める、という権利は誰にもない。

同時に、自分が他者とは違う/同じということを証明する義務もない。

葉山はヒトではない汐入たち、ヒトではなくなっていく六浦との会話の中で、彼らを「受け入れる」でも「証明する」でもなく、彼らが違うということをただ「知る」。

ヒトとヒトの間に必要なものは、許容でも証明でもない。

「違う/同じ」だということをただ、知るだけ。

誰もが知れば、「違う」ヒトビトが現状さまざまな権利を奪われている異様さ、「違う」ヒトビトが受ける暴力の凄惨さに気付く筈だ。

 


葉山は優しかった。

優しいがために、マジョリティの残酷から少しでも汐入たちを遠ざけられるように手袋を渡した。

まるで優しい小さなクローゼットだと思った。

葉山は優しいから、彼らを隠したかったのだ。

彼らを自分なりに守りたかったのだ。

やがて「違い」が明らかになるであろう六浦と自分を含めて。

しかし、私たちは水伯の中で生きられはしない。

葉山の優しさは、舞台の外の私たちを守らない。

だからこそ外に出てこう叫び続けるのだ。

聞こえるように、見えるように、知られるように。

 

あなたは私と違う。

同じように、私はあなたとは違う。

 

 

 

 

 

またパラ定の舞台を観られますようにっ!

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