あらすじ
アメイジング・スパイダーマンを抱きしめ続けてきた、この強張った腕を緩めさせてくれてありがとう…
— オザキ (@hontkn) 2022年2月2日
あらすじ終わり。
2021年〜2022年の年末年始を全て仕事に捧げたのに蝕が起きることもなく、私がフェムトになって新生鷹の団も結成することもなく。
当たり前に2月が来ちゃってようやくNWHを観れました。
個人的にスパイダーマンシリーズ(アメスパ)とはいろいろありすぎるので(後述)、予告も前情報も可能な限りシャットアウトして観た。
感情全部出た。
嗚咽で息が出来んかった。
ちょっと過呼吸なった。
胃が痙攣して出た小ゲロは飲み込んだ。
NWH、小ゲロ吐くほど泣いた 小ゲロは飲んだけど頭痛いし歯も痛い
— オザキ (@hontkn) 2022年2月2日
これは、トラウマのように心にブッ刺さってる作品が時空を超えて抜けて、そこから温かい涙が出た人間の記録である。
アメイジング・スパイダーマンを許さなかった世界を許せなかった8年間。
初代実写スパイダーマンの始まりは20年前。
20代半ばの自分なのでさすがにリアタイファンです!と言えるほどの自信はなく、さりとて履修済みなので愛着はある。
この初代サム・ライミ版、もしくはトビー・マグワイア版スパイダーマンが実写スパイダーマンの元祖であり、確かな支持を得ていることも認識している。
しかし、私が墓守りの如く未だにウロウロ徘徊していたのは2012年、2014年に公開された2代目スパイダーマン。
観る前は「ダセ〜名前!」と思っていた。
観た後は「アメイジング…」だった。
監督は、『(500)日のサマー』で観客を感情のサラダボウルに放り込んで困惑ドレッシングで和えたことで評価された(?)マーク・ウェブ。
♡ハッピーでキュートなラブストーリー♡という幻想<ファンタジー>を「ニンゲン」の生臭さで繊細に包んで供したそのワザマエは、ヒーロー映画でも遺憾無く発揮されていた。
『アメイジング・スパイダーマン』は主人公ピーター・パーカーとグウェン・ステイシーの軽妙でロマンティック、時にシビアなラブストーリーと、スパイダーマンを含めた「ニンゲン」たちのままならなさが複雑に絡み合ったヒューマンドラマであった。
スーパーヒーロー映画でありながら、「救う」ヒロイズムよりも「救えない」ヒューマニズムにスポットライトが当たる、現在のMCUに至る布石のような作品なのだ。(大オタクの贔屓目もある)
アメイジングスパイダーマンは「人を助けるということは『助けられない人がいる』ということかもしれない」というヒロイズムの残酷な二律背反をキュートなラブストーリーと切ない友情といった等身大の物語に容赦なくブチ込んでくるので「もうやめて…もう誰も苦しまないで…」と顔を覆うことになります
— オザキ (@hontkn) 2021年11月8日
思い返すに、初代スパイダーマンにも明確な敵対者はそもそも居らず、ピーター・パーカーにまつわる人物が抗えない状況によってスパイダーマンと敵対してしまう物語だった。
ノーマン・オズボーン(グリーン・ゴブリン)然り、ドクター・オクタヴィアス(ドック・オク)然り。
フリント・マルコ(サンドマン)は、悲しいね…。
『アメイジング・スパイダーマン』は初代が確立した、「ヒトとヒトが関わることで生まれる予想もつかない哀しみ」を顕微鏡で拡大してスクリーンに流した、ある種ミニマムな出来事の集合体なのだ。
だからこそ、一つ一つの出来事がまばゆく、そしてそれらの結果があまりにもピーター・パーカーにとって厳しいものだった。アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター・パーカーの等身大の悲しみが、等身大の私を捕え、そしてそのまま放り出された。
なぜか。
『アメイジング・スパイダーマン』は、ピーター・パーカーの物語を救うことなく幕を閉じたからである。
…続編、打ち切りだっちゃ。
…以降、私はSONYを許していない。(何でかは調べてみてね)
ノー・ウェイ・ホームで救われる『アメイジング・スパイダーマン』オタク
最初に書いた通り、私はNWHの事前情報をシャットアウトしていた。
MCUは好き嫌い怒りいろいろあるけどずっと観てきたし、なんか腐れ縁みたいな感じになってきてるし、トムホスパイダーマンも楽しく観ていた。
トムホスパイダーマンがめちゃくちゃ文字通り子どもなのにバカスカ戦わされるのは割と真剣におこだが、それはそれとして純粋に面白かった。
あと、敵にスパイダーマンに対して明確な敵意があるのが前二作品とは趣きが違うわね、と今さらMCUナイズドされてたことにも気付いた。
そしてシリーズ3作目、NWH。
み、みんな(旧作の敵たち)だ〜〜〜!!!!!!!
元気そうじゃん!!!!!!
嬉しい!!!!!!!!!!!!
ドック・オク変わんないね!!!!!!
デフォーの顔芸やっぱ勢いあんね!!!!
…アメスパのふたりもご健勝そうで…。
で、じゃん。
でじゃん。
最悪の状態に陥ったピーター。
そこに、ア〜〜〜〜〜〜〜〜。
ア"〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
アンドリュー・アメイジング・ガーフィールド・スパイダーマン。
が、現れた。
8年間も顔見せないでどうしてたの。
あの後どうなったの。
つらかったでしょう。
寂しかったでしょう。
ちゃんとご飯食べてた?
ちゃんと寝れてた?
ハリーとは和解した?
もう、8年間溜めてた感情が一気に溢れて、小ゲロを吐きながら泣いた。
そのあとに、正しくあろうとしながらも暴力に溺れた日々を語ったアメイジングな彼の涙に泣いた。
過去にできなかったことができた優しいピーター・パーカーの涙に泣いた。
彼が果たせなかったことをさせてくれたNWHに、私たちが見れなかった彼のその後を教えてくれたNWHに感謝しながら泣いた。
頭を抱えて泣いた。
三人のスパイダーマンがヴィランズをcureする姿に、私の8年間もcureされた。
トムホスパイディが繰り返し発していた「fix(修理)」ではなく、トビースパイディが言うようなまさしく「cure(癒し)」の作品となったのだ。
※NWHで描かれた「cure」はマイノリティを「治療する」ような意味合いでのそれでなく(X-MEN:ファイナル・ディシジョン参照)、ヴィランズがそうなってしまった不運や社会的病理を彼らから取り除くという作業だった。アンドリュースパイディがマックス・ディロン(エレクトロ)に「君はもともと素敵だった」と手を差し伸べる、そういう、スパイダーマンの「親愛なる隣人」としての救い。ありがとう。
NWHはヴィランズをcureすることで過去二作品のスパイダーマンたちの願いも救い、過去作の周りをうろつく亡霊のようなオタクも救った。
スパイダーマン(とそのオタク)を救えるのもまたスパイダーマンなのだ。
「その点でもスパイダーバース 、凄いよね。」
あ、スパイダーバース 凄いよねオタクだ!
スパイダーバースで描かれていたように、どこかの世界線のスパイダーマン(ピーター・B・パーカー)は人を救って助けて、それでも覆面の下は報われず、果てに摩耗してしまい「ヒーロー」のガワだけになった人間として登場して、そんなピーター・パーカーを"救う"のが新たなスパイダーマン、マイルス
— オザキ (@hontkn) 2022年2月2日
あとは先達たちが背負い、今作で救われたはずの「スパイダーマンとしての孤独」にがっつり捕まってしまったトムホスパイディが救われるだけだね。
おい!トムホスパイディの世界!下リンクを読んでおいてね!!!!!
NWHのダメージコントロール局が○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○少なからず的確なんじゃない? https://t.co/Rn8dJuHr6U
— オザキ (@hontkn) 2022年2月8日