観るも観ないも『ラ・ラ・ランド』
こんばんは。
今晩は2017年に人類を
「観て好きな人」
「観て好きじゃない人」
「観ないと決めた人」
「観てない人」
に4分割した話題作『ラ・ラ・ランド』の地上波初放送だそうですね。
私は当時劇場で観ました。
観る前からワクワク(監督デイミアン・チャゼルの前作『セッション』に膝ガックガクにされた経験があるのである種、絶叫マシンに乗る前のような不安と興奮)していたのでハードルは低くはなかったのですが、自信を持って「すきやでおまえのこと」と言える作品です。
私にとっては。
あくまで、私にとっては。
この、「私にとっては(光だけどあなたにとっては闇かもしれない)」という点で、冒頭で述べたように世界を4分割統治したんですよね。
特筆したいのは、監督の長編デビュー作『セッション』との相性が悪かった、もしくは思うところがあった、もしくは『ラ・ラ・ランド』のレビューから察した、等々の理由で「観てない」ではなく「観ない」と決めた人が多く感じられた(当社比)点です。
「観てない」「時間的金銭的余裕がないので観れない」ではなく、「能動的に観ない」という選択肢。
良い、とても良いと思います。
「観ないと損だよ!」なんてことは当然なく、逆に「観ない」という新しい鑑賞方法もあるのだと、私にとっては「エウレカ!」的姿勢でした。
そんな"「観ない」という鑑賞方法"というパラドックスの申し子みたいなものを生み出すpowerが、確かに『ラ・ラ・ランド』にはあったと思います。
その論拠はいろいろあるのですが、まず以下のツイートで。
ララランドが結構好きな私とララランドのことがどうしても許せない友だちが話した際、「そのポイントが好き/嫌い」で真逆の方向に分かり合えたので本当にリトマス試験紙みたいな映画ですよ
— かこQ (@Qbobobo) 2018年10月9日
同じポイントに心、動かされてるんですよ。
プラスとマイナスの真逆の方向に。
めちゃ…面白くないですかこれ。
友人と喋ってて
「「あ〜!そこ」」
「好きやねん!」「無理やねん…」
なんですよ。
特に友人がムリだった…と手を組んで俯いていたのは、熱く語らっていた"真のジャズ"を一旦脇に置き、商業的な方向へ舵を切ったセブをミアが責める雰囲気になったシーン。
美大に通っていた友人曰く、「表現したいものと仕事/社会に求められるものの間で身を削っている同期のことを思うと、セブを責められないしミアを許せない。映画と現実を切り離して考えられない」。
夢や目標に対して心や体や人生を一度でも傾け苦しんだことのある人、またはそんな人が近くにいる人は、『ラ・ラ・ランド』が描く「夢と現実」をフィクションだと消費しきれないんでしょうね…。
一つの憶測に他ならないですけど。
「夢を見ていた」というキャッチコピーが鑑賞直後のエブリバデから聞こえてきましたが、本当に素晴らしいコピーですよね。
観た後にこそ、その真の意味を知ることができる、もはやあらすじといっても過言ではないほどに物語の真をついたコピーでした。
最後に私の「チャゼルッッッ!!!!!!おいチャゼルおいッッッッッッ!!!!!!!!」ポイントの紹介です。
チャゼルの辞書、「徹頭徹尾」とか「徹底的」とかが先頭にあるんでしょうかね。
『セッション』も「完膚無きまで」って感じですし。
怖いよお。