就活クソカレンダー(3月)
就活クソカレンダー3月号です。
私の就活実働期間は2017年3月から9月半ばまででした。半年間ぐらいですね。
その間、広告会社から大手菓子メーカー、エクステリア系から公務員まで手広く、気軽に、飛び石のごとく受け続けました。
売り手市場と呼ばれた年にしては決まるのが遅かったんでしょうか。
以前も書きましたが、就活のメインイベントである面接自体は嫌いじゃないので割とのんびりやってたんです。
で、そののんびりのツケが夏の終わりに牙を剥き、最後は焦って内定が出たたった一社に飛びつき、結局"ああ" https://honmaka-sayoka.hatenablog.com/entry/2018/08/24/230913 なってしまったのはしくじり先生としては面白みに欠けても「リアル」ではあると思います。
のんびりはいいいのよ。心が豊かになります。
でも無計画なのんびりはただの向こう見ずですね。
水中に取り残されてタンクの酸素が5分しかないのに無視して8分のんびりしたら途中で死んでます。
2分のんびりしたら残りの3分はしっかり焦りましょう。
それか最初の数分で陸を見つけて、そこからいくらでも自由にのんびりしましょう。
私は4分半のんびりして30秒で見つけた陸が、陸だと思ったもの(元弊社)が、タイタニックの板でした。
笛「ピ、ピーーーー!!!!(助けて)」
そんな私ですが色んな人に助けられて、今は新しい陸地を探しています。
あるかな、沈まない新天地。
クソカレンダー3月は就活生100人中81人が経験したかもしれない恐ろしい現象です。
アイデンティティクライシス。
多重人格。
100個ぐらい設問がある場合なんか前半と後半で人格が変わってるんじゃない?という危惧さえあるわよね。
サイコパス検査かな。機関に捕らえられたりしないかな。そもそも機関って何よ。なんの機関よ。MI6?IMF?イーサン・ハント?
ミッションインポッシブル:フォールアウト
絶賛公開中。
女衆五人でストリップショーに行ったらかわいいをおすそ分けしてもらえた話(前編)
お盆だったので、高校以来の友だち5人でストリップショーに行きました。
お盆だったので、の部分に特に意味がないのがいいでしょ。
お盆とストリップショーにこれまではなんら因果関係はなかったのに、私が「お盆だったので」と記したことでまるで「お盆はストリップショーに行くもんだ」みたいな雰囲気が漂っている。
もちろんそんなことはない。
ストリップショーはいつ行ってもいい。
台風とかハルマゲドンとか自分の結婚式とか以外ならいつでも。
大阪は天満にある有名な劇場に行かせてもらいました。
名前をあげると東洋ショーです。
その節はありがとうございました。
遅刻した私は駅で既に揃っていた4人の旧友たちから轟音の弾丸トークを浴びました。
「おまえ今日もすごい格好やな!」
「遅刻すんじゃねえ!」
「わにゃにゃににゃ!」
「もにょにょにょにょ!」
4人中2人の発言は聞き取れなかったので白旗を上げて降参しました。
結論:おしゃれに時間をかけても遅刻はいけない。絶対に。NEVER。
そのままトークの弾丸を連射しあいながら目的地まで10分ほど歩いていくと、目当てのブルーの看板が見えまして。
人一倍おこられることを怖がる私が
「さすがにこのクソデカボイスパレードのままの入店は迷惑だから大人しくしましょ」
とビビリング(ビビっている様子)を見せ、みんなもそれもそうだとしずしずとストリップ劇場にお邪魔しました。
東洋ショーはカウンター横の券売機で入館チケットを買うシステムだったんですが、もうその時点で謎の武者震いから手が震えている私。
微妙に札が差し込み口に入らないし(震えてるからですね)、友人らの抑えたはずのテンションも熱い鼻息となって暴れているし、これはいけない、と全員がチケットを買えたところでショー開始まで一時店外に退避することに。
なんと、東洋ショーには外出する人に「お出かけバンド」みたいな紙のバンドを腕に巻いてくれるグッドサービスがあるんです。
パルケエスパーニャみたい!遊園地みたい!と5歳児のようにはしゃぎながら受付のお姉さんにバンドを巻いてもらい、近くの商店街にある喫茶店まで息を整えに向かいました。
でもよく考えたら腕のバンド、あのエリアで付けてると、パルケエスパーニャで遊ぶ女子たちではなくストリップショーに赴く女子たちであることが丸わかりなんですね。
つよい。
なんか妙に長くなってきたので、ここまでを前半とします。
イタリア旅行でヴァイキングと呼ばれた女
今年の2月頭から半ばにかけて、友だちとイタリアとスペインに卒業旅行に行ったわけです。
私はいつだって金欠でけちんぼなので
「スペイン削らない〜?ねえ3万プラスはキツいよ〜」
とセコいダダをこね、友だちは
「働きなさ〜い」
と至極真っ当なアドバイスをしてくれました。
あまり働くのが好きではない私が週1か2ぐらいしか飲食バイトにシフトを入れてないことは、6、7年来の友だちには筒抜けでした。
この人には割と何もかもが筒抜けなので私が筒なのかも。
マカロニだと嬉しいわね。
で、プラス3万で行ったスペインは最高でした。正確には「極上」でした。
何がって、サグラダファミリアです。
同人作家の「描き(書き)上げる!ぜったい描き(書き)上げるから!いつかは!」の先駆的存在であり、完成予定日が幾度となく伸びて来たサグラダファミリアは、素晴らしかったです。
ステンドグラスは最近はめられたようなんですが、
んも〜!最高!自然光の入り方で見るたびに差し込む光の色が変わってんも〜!
大変よろしかったです。
宗教施設としても興味深いので、ぜひ行った時はガイド付きのチケットを買ってください。
上を見る時は口が開かないように気をつけてください。
口が乾くので。
本題です。
実は私、けっこう酒を飲むのでイタリア初日にヴェネツィアのスーパーでボトルワインを買ったんですよ。
安かった〜〜多分600円いかないぐらい。
で、ね。
要るじゃん、アレが。
ボトルワイン飲むのに、アレが。
オープナーが。
持って来てね〜〜〜〜!!!!!
行く前にフランス経験済みの姉に「忘れんなよ」つっておちんのところがスクリューになってる人型のオープナーもらったのに!!!!
置いて来た!!!!!!!
ああああ〜〜〜〜〜〜!!!!!!
飲めへん!!!!!!!!!
私は悲しすぎるあまり、あとキャリーケースに入れて割れたらヤなので、都市間の移動中ほぼず〜〜〜〜っとボトル片手に歩いてました。
それを見た友だち3人(現地で友だちがふたり増えました)
「荒くれ者のヴァイキングやん」
だまれ〜〜〜〜〜!!!!!!!
誰がヴァイキングや〜〜〜〜〜!!!!!!!
ちなみにこの写真は安っすいオープナーを買ったら秒で千切れてしまい二度と開けられなくなった図です。
5日間ぐらい試行錯誤して開かなくて。
地面に叩きつけろ!というネット情報を信じても救われなくて。
で、イタリアで最後に泊まったホテルのボーイに
「あんたならできる!頼む!よっこの天才!頼むよ!お頼み申し上げる〜!」
とおだてて縋り付いて開けてもらいましたとさ。
彼は誰も抜けなかったコルクを抜いたことから、我々からキング・アーサーと呼ばれています。
私は荒くれヴァイキング。
就活クソカレンダー(2月)
就活では初めて「サーバーとの戦い」を経験することとなりました。
観劇チケットや限定アイテムを入手するため、パソコンやスマートフォンの画面に張り付いたことがある戦士の方々はご存知でしょう。
公式から予告されている販売開始時間の数分前から、その時点では「無」と言っても過言ではないページを親の仇のように見つめ、その瞬間<とき>が来たら、抜き身の人差し指(親指)で、クリックーーー・・・
ー何か買えたのだろうかーーーー
ー何か買えたとしても、何が買えたのだろうかーーーー
サーバーという狭き門に濁流のごとく流れ込む欲望が、門を破壊し、石を巻き上げ、岩を砕き、そしてその渦を泳ぎ切った力あるものは何かを手にして去って行く・・・
後から来たお寝坊さんが目にする光景は、「サーバーが混み合っています」の簡素なアナウンスか、もしくは
「ここに…画像があるんだろうな…んでここは多分クリックできて…」
と、かつての姿を思わせるホームページデザインの残骸だけが散らばった荒野でしょう。
公的に就活が解禁された2017年3月1日。
私はそのホームページの荒野に降り立った。
サーバーとの戦いに負けたのだ。
クソカレンダー2月分は、そんな某就活サイトで手を滑らせた私が起こした小ネタです。
実際のスクショもあるんですが、そっちの方が圧倒的に面白いんですよ。
でも社長に悪いから手作りイラストで我慢してくださいね。
だいたい死んだパーティーメンバーって半透明で浮かんでますよね。(以下参考画像)
就活クソカレンダー(1月)
就活カレンダーを作った。
就活カレンダーというか、就職活動をしている時にブチまけていたツイートをまとめたものをカレンダー風にした。
就活、正確に言うと面接自体は初めて会う人にウンウンウンウンウンウンほんとぉ〜〜そうなのぉ〜〜言うてたくさん話を聞いてもらえるのが楽しくて、そんなに嫌いではなかったんですよ。
一方でパンプスは痛いし転けるし大嫌いで帰り道では怒りの裸足ガニ股でした。
友だちとは就活が終わったらパンプスをバーベキューして食べようねと約束しました。
ね〜〜友だち!いつする?
とにかく、当時の私はそれなりにフラストレーションを溜めていたようで。
けっこう語気の強いツイートがパラパラあって、まあその勢いが我ながら面白くて見返すと元気が出るんですよ。
お!わい元気いっぱいプンプンしとるやないかい!
いうて。
なので、それらの就活愚痴集をネット上に上げることで、これから就活に臨む人、今就活に悩んでいる人にも笑ってもらえたらなと思ったわけです。
まあ当の私は新卒で入った会社を3ヶ月で辞めたんですけど。
上手いこといかねえ!ガハハのハ。
とりあえずカレンダーの体を取るため12枚は画像があるので記事も12個分は稼げるわけです。
うまみが強い。
前置きが長いのでさっそく1月から紹介します。
これは文章そのまんまです。
うちの父、フリーライターをやっているともっぱら噂なんですけど(実際何してるのかは家族全員知りません。「お前たちに言っても分からん」と教えてくれないので暗殺者かも)、エントリーシートを見せると「全然ダメダメこりゃダメだ。心に響かない」と手直しをしてくれました。
帰ってきた文章は、なかなかにドラマチックで、とはいえぼくは感慨深いような、そうでもないようなそぶりで、デスクトップ左上のフロッピーマークを押したのだ。
2月は明日かな、投稿します。
新卒で入った会社を3ヶ月で辞めた人の話
4月に入った会社を辞めました。
スピーディーかつ劇的に円満な退社と相成りました。
どれぐらいスピーディーだったかというと、姉に相談した次の日に父に相談し、その翌日に上司に相談したところ2日後には退社、次の週の月曜には実家にいました。
ちょっとした瞬間移動を味わった。
私、気付かないうちにポートキー触ってた?
(ポートキー:ハリーポッター世界で触ると瞬間移動する。めちゃ酔う。)
そもそもなぜ退職に至ったかと言うと、それはもちろんいろいろあるんですが、一番の理由は「これ以上は危ねえ」と感じたからです。
営業職だったんですが、商品持ち出し型の車営業で、ペーパードライバーでデスドライバー(マリオカートでゴールに15分かかった私を見て友人が付けた称号)の私が、運転しながらインカムでお客からの電話を受け、注文を取り、資料を確認し、メモしながらまた倉庫に電話をかけて在庫確認をし、というワークスタイルに、明確な<<<死>>>を感じたんですね。
いつか車で人を殺す、もしくは私が死ぬ。
辞めねばならぬ。
まあ会社説明の時点でそんなん分かってたでしょ?だったら入らなきゃ良いのに、って話なんですが、よくよく思い出しても上手いことこういう実情ははぐらかされていたような…ね。
私の認識の甘さであることももちろん事実です。
反省。人生で最も大きな反省。これ以上の反省はちょっとご遠慮願います。
今就活生のみんな〜!
できることなら先輩社員から1日の働き方、1週間のスケジュールとかをネッチリ聞いておいた方がいいよ〜!
人事の人が話すワークスタイルは、言ってしまえばシンクロナイズドスイミングの水上。
点数の付く、見せたいところだからそりゃ見栄えがいい。
でもそれを支える水面下/現場は必死よ、もう。
水上/会社が沈まないようにがむしゃらに泳いでる。
そのがむしゃらな水面下/現場がどう泳いでいるかを見極めなきゃいけないんです。
しっちゃかめっちゃかに手足をバタつかせているのか、しっかり指導が行き届いて効率的に泳いでいるのか。
水上ばかり見て審査員ばりに点数をつけていると、気付いたら水面下で「なんか売り上げヤバいから一人あたり前年比1000万売り上げプラスね。方法は自分で考えて」というコーチからの指示が飛んでくるようになります。
もちろんそれでグングン!伸びる人もいるとは思うんですけど。
あと一つ。
仕事自体が割と土木に近いもので、それは良いんですが、何かというと「女の子は危ないから下がってて!」が多かった。
雨が降れば「風邪引くとダメだから車に居て!」
機材を運ぼうとすると「怪我するから触らないで!」
いや、ありがたいんです。
本当に心からありがたいんですその心遣い。
ありがたい、すごく大事にしてもらっててありがたい。
でも、仕事にっっっっならないっっっっっっ、、、、私がここにいる意味がっっっっっっっっっないっっっっっっっっっっっ、、、、、、、、、
女性登用を頑張っていこうとしている会社ではあったんですが、男性が作ったプレゼン資料をなぜか女性が発表する(女性登用をしてるね〜ポイントで本部の評価が上がる)、女性用の制服を作る(今までは男女共用で支障なかった)など、頑張りがっっっっっっっズレとるっっっっっっっっ、、、、、、、、、普通にっっっっっっっっ扱ってくれっっっっっっっっっ、、、、、
まあこういう点は、それこそ女性が増えたら改善されていくかも?しれないので置いておくとして。
本当に悪い会社ではなかった。うん。
じゃあ何が決定打になったかというと。
先輩から一切悪気なく言われた「うち、女の子なら誰でも採るからね〜」だった。
「よっぽどヤバい子じゃない限り落とさないよ〜女の子欲しいから」
…ささやかながらあった、ここでやっていこう、という気概は、儚くも、車内の換気口から、流れ出て、排気ガスと混ざって、消えた、、、、女の子なら、、、、、誰でも良かった、、、、、通り魔みたいだな、、、、、、、、
そんなこんなの積み重ねで上司に「辞めたいと考えてます」と相談したところ、「俺もお前の輝く場所は別にあると思うよ」と励ましのような、実質戦力外通知のような言祝ぎをいただき、ついでに「で、いつ辞める?明後日とかどう」と瞬く間に退職が決まり、今はもう無職1ヶ月半ほどです。
いや〜〜〜〜早く輝きて〜〜〜〜!!!!!!
チェスター・ベニントンについてずっと悲しいというお話。
チェスターが亡くなった日?亡くなったとツイッター上で知った日のことはむっちゃ覚えてます。
あまりに記憶が持たないせいで家族にも「小っちゃいころ階段から落ちて頭割ったから記憶が保たんのかなあ」と諦められてるぐらいの私ですけども、あの日の自分の一挙手一投足を覚えてるんですよね。
その日はですね、大絶賛就職活動中の私がそれなりに繰り返してきていた会社説明会の日でした。
オァ~~~ちゃんと起きたし今日はもう百点やこのやろ~~~説明会行ったろかこの満点の私がよ~~~~!!!!
ぐらいの大いなる自己肯定感が、スーツを着て、飯食って、出かける直前の日課のツイッターのチェックの最中に目に入った記事によって飛び散りました。
・・・・・え・・・・?チェスター・ベニントンがじさ・・・・は・・・・・・????ちょ・・・・ま・・・・・・????
とりあえずTLに流れてくるチェスターの訃報には急いで全部目を通して、それでもあんまり現実感がないせいでヤフーニュースとかニュースサイト系にも全部アクセスして。
そんなことを数十分もしてたら普通に出る時間を過ぎていて、母も「あんた説明会は?もう出なあかんとちゃうん?」と声をかけてきましたので私も「え・・・?あ、うん・・・なんかチェスターが、リンキンのチェスターが死んだ?みたいやけど・・・とりあえず行ってきますわ!ほな!」言うて家を出ました。
家族は私がリンキン好きであることをご存知ですので、え・・・だいじょうぶ・・・?みたいな感じでしたけど、外面を取り繕うことが趣味な私なのでオーケーオーケー戦線に異常なし!と元気いっぱいドアを閉めて駅に向かって梅田まで出て谷町線に乗り換えて会社の最寄り駅でピタッ!と降りました。
7月も真っ盛りだったので駅から地上に出たら太陽まぶしー!くそ暑ぃー!で、目的の会社にたどり着くまでに汗だくで顔も体もビチョビチョでしたね。
とはいえ、実際家を出る時間をだいぶ過ぎていたので受付時間を過ぎてしまっており。
あと10分早く着いてたら開いてたんやろな~みたいなガラス扉の前で、
「今日はショックなことがあったしちゃんと謝ってとりあえず入れてもらお!」
と扉の取っ手に手をかけたんですよ。
その瞬間、
ブッッッッッッワッッッッッッ!!!!!!!!
いうて急に涙腺から涙が暴発して。
エーーーーーーーー?!!!??!?ですわ。
何事ーーーー?!??!どうしちゃったのあたし~~~~??????って。
起きたら魔法少女になってた場合にのみ許される台詞が脳内で駆け巡って、でもそれはそうとして全然外面を取り繕えていなかったので御社には「かたじけない・・・」と思いつつ会社からピューンとしっぽ巻いて逃げ出しました。
汗と涙で髪の毛を顔に張り付かせながら鬼気迫る勢いで梅田まで戻り、よく行くカラオケまで這って行き(心理的にはマジで這ってました)、組織の魔の手から逃げるイーサン・ハント並みの必死さで2時間部屋を取り、部屋に入ったとたんに来ていたスーツを脱ぎ去りベルトも緩め、完全に体を解放できたところで
ウワーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!
って泣きました。
全然ムリ超ムリムリムリの実の能力者ぐらいムリほんとムリでした。
ドタキャンした会社のことも、今自分がけっこうヤバいルックスになっていることも、なにもかもどうでもよくて、とにもかくにもチェスター・ベニントンが死んだ、自殺したことが耐えられなくてバチクソに泣きました。
バチクソに泣きながらリンキンをバチクソ歌いました。
Shadow of the Dayとかもう
じゃ~~どおぶざでうえ~~~~~~ん!!!!
でした。部屋の外を通った人とか怖かったんちゃうかな。ごめんね。
たっぷり2時間、ハイブリッドセオリーとミニッツトゥミッドナイトぐらいは全部歌ったころで部屋を出て、ゲロゲロで自動精算をして、とりあえず家に帰って寝込もうと駅に向かいました。
でもどうにも感情のボルテージが上がりっぱなしで腹がモッシュを始めたようで、優秀な警備スタッフである私は駅のトイレにピーピーの腹を誘導しました。
そこで見たものは、全身鏡に映る、顔がいろんな液体でビッチャビチャ、シャツも3つ目のボタンまで外し、スラックスのベルトもチャックもフルオープンの四ツ谷怪談系女子でした。
ほんと、よく通報されなかったね?
チェスターに、リンキンにハマったのは2007年、私が映画にのめりこむきっかけとなった『トランスフォーマー』の劇伴を彼らが担当していたのがきっかけです。
ふたつのきっかけが同時に生じているので、文章内でのきっかけ被りも許してください。
英語なんか「マイネームイズ」が「マヨネーズ」ぐらいにしか聞こえていなかった小坊が、なんとなくかっこいい!と初めて触れた洋楽に興奮して中古ショップで初めてアーティストのCDを買って、母が試しに入れてくれた80年代歌謡曲だけが入っていたウォークマンに自分で入れたそのアルバムだけを聞き続ける日々。
中学に上がり、お小遣いが増えてそれなりにモノを買えるようになった私が、レンタルではなく、確立されつつあるアイデンティティに組み込むように頑なに購入を選んだのはリンキン・パークのCDだけでした。
アルバムも、シングルも、コンピレーションアルバムも、チェスターだけのソロ盤も、ライブDVDもすべて手に入れ、自信をもって好きだといえる、私の人生に根差しているといえるのがリンキン・パーク。
メンバー全てについて語ることはいくらでもできるんですけど、チェスターに関しては、もう、彼が表出するすべてが好きで、時折思い出すたびにえ・・・好きが止まらねえな・・・?とその魅力の暴走列車に轢かれ続けていました。
彼の力強くも身を切るような切実さを持つシャウト、スローテンポでの丁寧な歌い上げと独特な絡まるような滑舌。それらが耳に届いた瞬間、ドーパミンとセロトニンの製造ラインが動き出して夏のガリガリ君並みに出荷されだします。気持ちよきね。
各アルバムや魅力を語るとまた長くなるので割愛しますが、力強いメロディーに乗せられた内省的なメッセージは聞くものに常に疑問と批判を投げかけ、優しい楽曲ではそんな世界で傷ついたとしても朝日が昇ってまた新しい一日が始まるから大丈夫だよ、と寄り添ってくれ、何でも話せる友人ができたかのような気持ちになるバンドですので。よろしくね。
チェスターが自死という選択肢をとる前、マイク・シノダと来日してニュース番組のコーナーで「Heavy」を歌ってくれたんですよね。
その時私は気が狂うようなテンションのブチ上がり具合で、動画を撮るのに必死で歌詞も何も聞いてない分からないテイクムービーモンスターと化していたのでそのあとに気づいたんですよね。「Heavy」の歌詞が含む様々なことに。
チェスターがどうしてああいう道を選んだのかは誰にも、それこそメンバーや家族ですら分からないのじゃないかなと思います。
たとえば、チェスターの生い立ちや性格や置かれていた環境から察することはできるとしても、チェスターが感じたことをチェスターが感じたように理解することはできないし、するべきでもない。チェスターの死は、チェスターだけのものであると思うんですよ。(もちろん、チェスターの死後、リンキンが自殺防止のホットラインの番号を追悼文の後に載せたことに意味はあるんですけど)
ただ、「Heavy」で綴られた、重い、ということばはアーティストであるチェスターが作品を通して表明した、チェスターが感じていた世界のひとかけらなのかなと。
そうだとすると、やっぱり、なんというか、ファン、チェスターのことが好きだった全宇宙のひとりとして切なくもあるなと。
そっか~、重かったのか~、、、と。
「重い」ということばがこんなに重みをもつ日が来るなんて思わなかったし、来てほしくなかったです。
彼の死から一年以上たった今こういう文章を書いているのは、ただただ私の心の整理のためなんですよね。
チェスターがもう居られないと思った世界で、それなりに笑ったり泣いたりのんびりと生きている私が時々不思議に思えるので。
おろ?それなりに生きていけているのはなぜ?とね。
二十年ちょっと生きてきて、身近な人やお世話になった人、仲の良かった友人やこういう憧れの人が亡くなったりすることがあったり、やっぱりあったりして、ウーーーーーン?と立ち止まって考えちゃう瞬間があるんですよ。
そこで登場するのが私のオールタイムベスト映画から、主人公の一言。
I can`t. I can`t beat it. Sorry.
耐えられない。耐えられないんだ、すまない。
つらい過去に向き合おう、乗り越えよう、と周囲から持ち掛けられる中、主人公はそれでも耐えられないと言って。
これには救われたな~~~~彼も耐えられないんだって。
耐えられなくてもいいんだってさ。
つらいことは、つらい。何年たっても何が起こったとしても、つらいことはつらいままで良い。しょうがないじゃんつらいからつらいんだもんね。
マイク・シノダが先日のサマソニに登壇して、「チェスターに対して思うことは何であってもいい、君の感情だから」みたいなことおっしゃってたようですが(ツイッターで見たのでニュアンス違うかも)、ほんとうにありがとうごぜえますだわ。
今でもずっと悲しいし、さみしいわあ。
というお話でした。