お時間です

生き延びがち

新卒で入った会社を3ヶ月で辞めた人の話

4月に入った会社を辞めました。

 

スピーディーかつ劇的に円満な退社と相成りました。

どれぐらいスピーディーだったかというと、姉に相談した次の日に父に相談し、その翌日に上司に相談したところ2日後には退社、次の週の月曜には実家にいました。

ちょっとした瞬間移動を味わった。

私、気付かないうちにポートキー触ってた?

(ポートキー:ハリーポッター世界で触ると瞬間移動する。めちゃ酔う。)

 

そもそもなぜ退職に至ったかと言うと、それはもちろんいろいろあるんですが、一番の理由は「これ以上は危ねえ」と感じたからです。

 

営業職だったんですが、商品持ち出し型の車営業で、ペーパードライバーでデスドライバー(マリオカートでゴールに15分かかった私を見て友人が付けた称号)の私が、運転しながらインカムでお客からの電話を受け、注文を取り、資料を確認し、メモしながらまた倉庫に電話をかけて在庫確認をし、というワークスタイルに、明確な<<<死>>>を感じたんですね。

いつか車で人を殺す、もしくは私が死ぬ。

辞めねばならぬ。

 

まあ会社説明の時点でそんなん分かってたでしょ?だったら入らなきゃ良いのに、って話なんですが、よくよく思い出しても上手いことこういう実情ははぐらかされていたような…ね。

私の認識の甘さであることももちろん事実です。

反省。人生で最も大きな反省。これ以上の反省はちょっとご遠慮願います。

 

今就活生のみんな〜!

できることなら先輩社員から1日の働き方、1週間のスケジュールとかをネッチリ聞いておいた方がいいよ〜!

人事の人が話すワークスタイルは、言ってしまえばシンクロナイズドスイミングの水上。

点数の付く、見せたいところだからそりゃ見栄えがいい。

でもそれを支える水面下/現場は必死よ、もう。

水上/会社が沈まないようにがむしゃらに泳いでる。

そのがむしゃらな水面下/現場がどう泳いでいるかを見極めなきゃいけないんです。

しっちゃかめっちゃかに手足をバタつかせているのか、しっかり指導が行き届いて効率的に泳いでいるのか。

水上ばかり見て審査員ばりに点数をつけていると、気付いたら水面下で「なんか売り上げヤバいから一人あたり前年比1000万売り上げプラスね。方法は自分で考えて」というコーチからの指示が飛んでくるようになります。

もちろんそれでグングン!伸びる人もいるとは思うんですけど。

 

あと一つ。

仕事自体が割と土木に近いもので、それは良いんですが、何かというと「女の子は危ないから下がってて!」が多かった。

雨が降れば「風邪引くとダメだから車に居て!」

機材を運ぼうとすると「怪我するから触らないで!」

いや、ありがたいんです。

本当に心からありがたいんですその心遣い。

ありがたい、すごく大事にしてもらっててありがたい。

でも、仕事にっっっっならないっっっっっっ、、、、私がここにいる意味がっっっっっっっっっないっっっっっっっっっっっ、、、、、、、、、

女性登用を頑張っていこうとしている会社ではあったんですが、男性が作ったプレゼン資料をなぜか女性が発表する(女性登用をしてるね〜ポイントで本部の評価が上がる)、女性用の制服を作る(今までは男女共用で支障なかった)など、頑張りがっっっっっっっズレとるっっっっっっっっ、、、、、、、、、普通にっっっっっっっっ扱ってくれっっっっっっっっっ、、、、、

まあこういう点は、それこそ女性が増えたら改善されていくかも?しれないので置いておくとして。

本当に悪い会社ではなかった。うん。

 

じゃあ何が決定打になったかというと。

先輩から一切悪気なく言われた「うち、女の子なら誰でも採るからね〜」だった。

「よっぽどヤバい子じゃない限り落とさないよ〜女の子欲しいから」

…ささやかながらあった、ここでやっていこう、という気概は、儚くも、車内の換気口から、流れ出て、排気ガスと混ざって、消えた、、、、女の子なら、、、、、誰でも良かった、、、、、通り魔みたいだな、、、、、、、、

 

そんなこんなの積み重ねで上司に「辞めたいと考えてます」と相談したところ、「俺もお前の輝く場所は別にあると思うよ」と励ましのような、実質戦力外通知のような言祝ぎをいただき、ついでに「で、いつ辞める?明後日とかどう」と瞬く間に退職が決まり、今はもう無職1ヶ月半ほどです。

 

いや〜〜〜〜早く輝きて〜〜〜〜!!!!!!

チェスター・ベニントンについてずっと悲しいというお話。

チェスターが亡くなった日?亡くなったとツイッター上で知った日のことはむっちゃ覚えてます。

あまりに記憶が持たないせいで家族にも「小っちゃいころ階段から落ちて頭割ったから記憶が保たんのかなあ」と諦められてるぐらいの私ですけども、あの日の自分の一挙手一投足を覚えてるんですよね。

 

その日はですね、大絶賛就職活動中の私がそれなりに繰り返してきていた会社説明会の日でした。

オァ~~~ちゃんと起きたし今日はもう百点やこのやろ~~~説明会行ったろかこの満点の私がよ~~~~!!!!

ぐらいの大いなる自己肯定感が、スーツを着て、飯食って、出かける直前の日課ツイッターのチェックの最中に目に入った記事によって飛び散りました。

 

・・・・・え・・・・?チェスター・ベニントンがじさ・・・・は・・・・・・????ちょ・・・・ま・・・・・・????

 

とりあえずTLに流れてくるチェスターの訃報には急いで全部目を通して、それでもあんまり現実感がないせいでヤフーニュースとかニュースサイト系にも全部アクセスして。

そんなことを数十分もしてたら普通に出る時間を過ぎていて、母も「あんた説明会は?もう出なあかんとちゃうん?」と声をかけてきましたので私も「え・・・?あ、うん・・・なんかチェスターが、リンキンのチェスターが死んだ?みたいやけど・・・とりあえず行ってきますわ!ほな!」言うて家を出ました。

家族は私がリンキン好きであることをご存知ですので、え・・・だいじょうぶ・・・?みたいな感じでしたけど、外面を取り繕うことが趣味な私なのでオーケーオーケー戦線に異常なし!と元気いっぱいドアを閉めて駅に向かって梅田まで出て谷町線に乗り換えて会社の最寄り駅でピタッ!と降りました。

 

7月も真っ盛りだったので駅から地上に出たら太陽まぶしー!くそ暑ぃー!で、目的の会社にたどり着くまでに汗だくで顔も体もビチョビチョでしたね。

とはいえ、実際家を出る時間をだいぶ過ぎていたので受付時間を過ぎてしまっており。

あと10分早く着いてたら開いてたんやろな~みたいなガラス扉の前で、

「今日はショックなことがあったしちゃんと謝ってとりあえず入れてもらお!」

と扉の取っ手に手をかけたんですよ。

その瞬間、

ブッッッッッッワッッッッッッ!!!!!!!!

いうて急に涙腺から涙が暴発して。

エーーーーーーーー?!!!??!?ですわ。

何事ーーーー?!??!どうしちゃったのあたし~~~~??????って。

起きたら魔法少女になってた場合にのみ許される台詞が脳内で駆け巡って、でもそれはそうとして全然外面を取り繕えていなかったので御社には「かたじけない・・・」と思いつつ会社からピューンとしっぽ巻いて逃げ出しました。

汗と涙で髪の毛を顔に張り付かせながら鬼気迫る勢いで梅田まで戻り、よく行くカラオケまで這って行き(心理的にはマジで這ってました)、組織の魔の手から逃げるイーサン・ハント並みの必死さで2時間部屋を取り、部屋に入ったとたんに来ていたスーツを脱ぎ去りベルトも緩め、完全に体を解放できたところで

ウワーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!

って泣きました。

全然ムリ超ムリムリムリの実の能力者ぐらいムリほんとムリでした。

ドタキャンした会社のことも、今自分がけっこうヤバいルックスになっていることも、なにもかもどうでもよくて、とにもかくにもチェスター・ベニントンが死んだ、自殺したことが耐えられなくてバチクソに泣きました。

バチクソに泣きながらリンキンをバチクソ歌いました。

Shadow of the Dayとかもう

じゃ~~どおぶざでうえ~~~~~~ん!!!!

でした。部屋の外を通った人とか怖かったんちゃうかな。ごめんね。

たっぷり2時間、ハイブリッドセオリーとミニッツトゥミッドナイトぐらいは全部歌ったころで部屋を出て、ゲロゲロで自動精算をして、とりあえず家に帰って寝込もうと駅に向かいました。

でもどうにも感情のボルテージが上がりっぱなしで腹がモッシュを始めたようで、優秀な警備スタッフである私は駅のトイレにピーピーの腹を誘導しました。

そこで見たものは、全身鏡に映る、顔がいろんな液体でビッチャビチャ、シャツも3つ目のボタンまで外し、スラックスのベルトもチャックもフルオープンの四ツ谷怪談系女子でした。

ほんと、よく通報されなかったね?

 

 

 

 

チェスターに、リンキンにハマったのは2007年、私が映画にのめりこむきっかけとなった『トランスフォーマー』の劇伴を彼らが担当していたのがきっかけです。

ふたつのきっかけが同時に生じているので、文章内でのきっかけ被りも許してください。

英語なんか「マイネームイズ」が「マヨネーズ」ぐらいにしか聞こえていなかった小坊が、なんとなくかっこいい!と初めて触れた洋楽に興奮して中古ショップで初めてアーティストのCDを買って、母が試しに入れてくれた80年代歌謡曲だけが入っていたウォークマンに自分で入れたそのアルバムだけを聞き続ける日々。

中学に上がり、お小遣いが増えてそれなりにモノを買えるようになった私が、レンタルではなく、確立されつつあるアイデンティティに組み込むように頑なに購入を選んだのはリンキン・パークのCDだけでした。

アルバムも、シングルも、コンピレーションアルバムも、チェスターだけのソロ盤も、ライブDVDもすべて手に入れ、自信をもって好きだといえる、私の人生に根差しているといえるのがリンキン・パーク

メンバー全てについて語ることはいくらでもできるんですけど、チェスターに関しては、もう、彼が表出するすべてが好きで、時折思い出すたびにえ・・・好きが止まらねえな・・・?とその魅力の暴走列車に轢かれ続けていました。

彼の力強くも身を切るような切実さを持つシャウト、スローテンポでの丁寧な歌い上げと独特な絡まるような滑舌。それらが耳に届いた瞬間、ドーパミンセロトニンの製造ラインが動き出して夏のガリガリ君並みに出荷されだします。気持ちよきね。

各アルバムや魅力を語るとまた長くなるので割愛しますが、力強いメロディーに乗せられた内省的なメッセージは聞くものに常に疑問と批判を投げかけ、優しい楽曲ではそんな世界で傷ついたとしても朝日が昇ってまた新しい一日が始まるから大丈夫だよ、と寄り添ってくれ、何でも話せる友人ができたかのような気持ちになるバンドですので。よろしくね。

 

 

チェスターが自死という選択肢をとる前、マイク・シノダと来日してニュース番組のコーナーで「Heavy」を歌ってくれたんですよね。

その時私は気が狂うようなテンションのブチ上がり具合で、動画を撮るのに必死で歌詞も何も聞いてない分からないテイクムービーモンスターと化していたのでそのあとに気づいたんですよね。「Heavy」の歌詞が含む様々なことに。

チェスターがどうしてああいう道を選んだのかは誰にも、それこそメンバーや家族ですら分からないのじゃないかなと思います。

たとえば、チェスターの生い立ちや性格や置かれていた環境から察することはできるとしても、チェスターが感じたことをチェスターが感じたように理解することはできないし、するべきでもない。チェスターの死は、チェスターだけのものであると思うんですよ。(もちろん、チェスターの死後、リンキンが自殺防止のホットラインの番号を追悼文の後に載せたことに意味はあるんですけど)

ただ、「Heavy」で綴られた、重い、ということばはアーティストであるチェスターが作品を通して表明した、チェスターが感じていた世界のひとかけらなのかなと。

そうだとすると、やっぱり、なんというか、ファン、チェスターのことが好きだった全宇宙のひとりとして切なくもあるなと。

そっか~、重かったのか~、、、と。

「重い」ということばがこんなに重みをもつ日が来るなんて思わなかったし、来てほしくなかったです。

 

彼の死から一年以上たった今こういう文章を書いているのは、ただただ私の心の整理のためなんですよね。

チェスターがもう居られないと思った世界で、それなりに笑ったり泣いたりのんびりと生きている私が時々不思議に思えるので。

おろ?それなりに生きていけているのはなぜ?とね。

二十年ちょっと生きてきて、身近な人やお世話になった人、仲の良かった友人やこういう憧れの人が亡くなったりすることがあったり、やっぱりあったりして、ウーーーーーン?と立ち止まって考えちゃう瞬間があるんですよ。

そこで登場するのが私のオールタイムベスト映画から、主人公の一言。

 

I can`t. I can`t beat it. Sorry.

耐えられない。耐えられないんだ、すまない。

 

つらい過去に向き合おう、乗り越えよう、と周囲から持ち掛けられる中、主人公はそれでも耐えられないと言って。

これには救われたな~~~~彼も耐えられないんだって。

耐えられなくてもいいんだってさ。

つらいことは、つらい。何年たっても何が起こったとしても、つらいことはつらいままで良い。しょうがないじゃんつらいからつらいんだもんね。

 

マイク・シノダが先日のサマソニに登壇して、「チェスターに対して思うことは何であってもいい、君の感情だから」みたいなことおっしゃってたようですが(ツイッターで見たのでニュアンス違うかも)、ほんとうにありがとうごぜえますだわ。

 

今でもずっと悲しいし、さみしいわあ。

というお話でした。